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アメブロ 『へたれオカンは今日も笑う』
∟「おしゃべり元保護者」のプライベートや、好きなことを語るブログです。
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こんにちは。
おしゃべり元保護者です。
昨日は、あちらのブログで、「最強のへたれオカンヨーコ」のお話をしています。
もし興味のある方は、ぜひ、お読みください。
さて、
昨日は■暁星高校事件、そんなもん「いじめ」かどうかなんて関係ない。■
なんて記事を公開し、
もしかしたら、
「そんなことで、ナイフを持ち出すなんてどうゆうことだ!」
と怒ってるだけだと思われた方も多いかも知れない。
ま、言葉尻だけ捉えてみるとそう取られても仕方ないのだけど、
私が言いたいことはそうではなく。
ナイフを持ち出すほどかっとしてしまった。
そうなってしまった原因を両方の立場に立ってしっかりたどることは当たり前で、
その後の、「いじめかどうかの議論」なんてどうでもよく、
この生徒らの心のケア、そして、指導が早急に必要だと言いたいわけで。
そのうえで、加害者生徒には、
この障害事件というものの「重み(それこそが犯罪であること)」をしっかりと受け止めさせ、
それが、いじめであっても、いじめでなくても、
「ナイフ等を持ち出して人を傷つけていい理由なんてない!」
ってことを、加害者生徒に指導すること。
そして、
同じように、被害者生徒にも、
傷害事件の被害者、
つまり、傷つけられた可哀想な被害者としてただ守るだけではなく、
そのナイフで切りつけられた恐怖や痛みは、
「それほどまでにその子を傷つけてしまったことが理由」であることを受け止めさせ、
そのからかったことが、「いじめ」だったかどうかなんてどうでもよく、
「それがいじめではなくても、人の心を傷つけていい理由なんてどこにもない」。
そのことを、しっかり指導していこうよ、ってなお話をさせていただいたわけで。
結局、
今の世の中は、
その出来事だけを見て、
「責めるべき加害者」
と、
「守るべき被害者」を決めてしまう。
いじめだってそうだ。
「いじめられた子は、被害者だから」
と、
完全に、「守ること」「これ以上傷つけないこと」で、その子のケアになると思っているのだ。
そうじゃない。
いじめにだって、
必ず「原因」はある。
それが、
「理不尽」なものから、
誰が見ても、「それは仕方ない」と思えるものやら、
また、
この事件のように、
「よくよく聞いてみれば、どちらも悪い」ことも多々あるのだ。
今回のこの生徒は、
「ナイフを持ち出す」という行為に及んだことで、
「いじめ」どころか「傷害事件」となってしまったけれど、
本質的なところは、全く同じだ。
だけど、
実はこれも、「ひとつの解決方法」でもあるのだ。
これは決して、
犯罪を助長しているわけではないので誤解しないでいただきたいのだけど、
その方法が、この生徒の場合、「子供じみていて、ひたすら不器用」だっただけで、
ある意味、未完成な子供たちだからこそ、陥りやすい過ちだったのだと、私は思う。
この生徒が、この辛さから逃れようとしたその方法を、
「その苦しみから抜け出すためには、
真逆に飛び込むこと」
こう表現した高名な先生がいらっしゃる。
つまり、
その、
「傷つけられる辛さ」から抜け出すためには、真逆のの立場になってみなさい、ということだ。
傷つける側になってみる。
これは、よくある、
「いじめられるのが嫌で、先にいじめる方になる」
というのとはちと違う。
「その苦しみから抜け出すために」
あえて、そうしてみる、ってことだ。
だけど、今の世の中は、それを許さない。
「いじめは絶対にいけない」
という、「正しさ」に縛られ、
「いじめられる側」は、ずっと「いじめられる側」を選択せざるを得ないのだ。
だけど、
これはDVも同じで。
実は、このおしゃべり元保護者も、
元旦那からDVを受けていた人間の一人だ。
そして、娘も同じように元旦那から虐待を受けていた。
その時、私は、「そんな自分から抜け出そう」と思った。
そして、
「娘だけは絶対に守らなければならない」
と、その「正しさ」を、どこかに放り投げたのだ。
その方法が、
まさに「真逆に飛び込む」。
そう、それは、この暁星高校の生徒と同じだ。
だけど、私の場合は、もうれっきとした大人だったことで、
その節度もあり、その方法も、いたって安全だったけれど、
この加害者とされる生徒と私は、全く同じだ。
こうして、
私も娘も、それ以来、元旦那からDVは受けていない。
そしてその後も、今も、元旦那と、子供たちの関係は、いたって良好だ。
そんなお話も、この一冊の中で語っています。
私は思う。
ある意味、この生徒をからかってしまった被害者の生徒も、
今回の事件をきっかけに、
「真逆に飛び込み」、その辛さ、痛みを体験できたのだ。
この事件、親や教師、そして周りの大人たちの対応が間違わなければ、
必ず、その三人の生徒らは、「数年後、笑いあえる関係性」にたどり着けるはずだ。
私は、そういう解決を、心から期待していたい。
今日、私の著書、
「へたれオカンは今日も笑う」
の、見本本が届きました。
わおっ
嬉しい!
長年の夢が叶い、ついに、生まれて初めての著書を、
こうして、手に取ることができました!
Amazonの予約注文は始まっていますが、
店頭に並ぶのは10月24日以降になるかと思います。
どうぞお楽しみにお待ちください。
お読みいただいてありがとうございます!
どちらかひとつ
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