こんにちは。
おしゃべり元保護者です!
さて、
今日は、小難しい話はやめて、
少し、『PTA活動』なんてものにスポットを当ててみよう、と思っているのだけど。
今、いろんなところで、
PTA活動問題を目や耳にすることがある。
確かに、
強制ではないのに、半強制だし。
会費だって、勝手に取られるし。
断ると断ったで、白い目で見られるし。
やったらやったで、やっていない人たちから「裏切り者」みたいな目でみられるし。
そんな活動に時間を取られるぐらいなら、子どもと一緒にいる時間がほしいし。
働いている忙しい人間に、暇な親の活動を押し付けるのもなんだかだし。
第一、そんな「教育ママたち」とうまく付き合っていける自信がないし。
まったくもってその通りだ。
実際、私も、長女が小学校に入学するまで、自分のことを、「絶対にPTA活動をしない親」だと決めていた。
そもそも、私はといえば、
恥ずかしながら、
保育園時代も、一度も役員の声がかかった覚えもなく、
いつだって、「その他大勢の、ただ保育園に子供を預けているだけの親」だったわけだ。
しかも、見るからに、「母親不適合」だと思われていた、
かなり、アイタタな保護者だったのだ。
まあ、私の文章からもわかるように、
実際、私は、言葉遣いも悪く、素行も悪い。
今は年齢とともに落ち着きをみせたとはいえ、
若かりし頃の私は、見た目も派手っぽく、
体育会系の本人としては絶対に認めてはいないが、
子供の友達からは、いつも、「元ヤン」と勘違いされていた母親だ。
しかも、うちから少し離れた保育園に通っていたため
近所の人は私の存在すら知らなかった。
しかし、子供たちだけは、
「いつも親にほったらかしにされている可哀想な姉弟だ」と有名になっていたらしい。
恥ずかしいったらほどがある。
そんな私だから、「自分はPTA活動なんてしない!てか、してはいけない!」
と信じ込んでいた理由もお分かりいただけるであろう。
というより、
そのPTAに全く興味がなかったというのが本当のところだ。
ところが。
蓋を開ければ、そんな私は、子供たちが小学校に通っている間、
ずっと、PTA活動に明け暮れ、
挙句の果てには、
小学校のPTA副会長、(女性最高位)
および、
市のPTA連合会の役員まで務める母親になっていたのだからびっくりだ。
身の程知らずとはこういうことだ。
そんな、「母親不適合」だった私が、どうして「PTA活動」を始めたのかは、次回の記事で明らかにしようと思っているが、
最初にお断りしておくけれど、
私は、自ら、「PTA活動をする母親になろう」と、意気込んでいたわけではない。
そしてまた、自ら、そんな「母親エリート」のような道を望んだわけでもない。
そんな気もないから、小学校入学早々、離婚までしているのだ。
それらはすべて、
そんな「母親不適合」な私を、なんの偏見もなく仲間に入れようとした、
ひたすらチャレンジャー精神旺盛な、
当時の、PTA役員や、教師たちのおかげだったのだ。
そのあたりのことは、何回かに分けて記事を書こうと思っているけれど、
私は、その頃の経験がなければ、
今の自分はなかったと素直に思っている。
その仲間たちに、無理やり連れ回されていた「子育て講演会」や、「PTAの会合」。
そして、
子供たちに何かがあるたび、
母親である私にかけてくれた教師たちの声。
その、仲間や教師たちと出会えていなければ、
私はきっと、今であれば、「毒親」と呼ばれていたに違いない。
結果私は、
些細なきっかけで、「PTA行事」に参加したことから、
数年後、
私を誰ひとり知らなかった町内会のおじちゃんおばちゃんたちと一緒に、
毎年、笑顔で町内の盆踊り大会に参加している私たち3人の家族の姿があった。
いつも、
「可哀想」とみられていた我が子達に、
親が仕事でいなくても、
親のように叱ってくれる、
いつも見守ってくれる近所の人たちができた。
そして、
近所のママ友なんてひとりもいなかった私に、
同じシングルマザーの友達も出来た。
私は、間違いなく、「PTA活動」によって助けられた、「元毒親」だ。
そんな物語を、次回お届けしたいと思います。
お読みいただいてありがとうございます!
どちらかひとつ
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さて、
今日は、小難しい話はやめて、
少し、『PTA活動』なんてものにスポットを当ててみよう、と思っているのだけど。
今、いろんなところで、
PTA活動問題を目や耳にすることがある。
確かに、
強制ではないのに、半強制だし。
会費だって、勝手に取られるし。
断ると断ったで、白い目で見られるし。
やったらやったで、やっていない人たちから「裏切り者」みたいな目でみられるし。
そんな活動に時間を取られるぐらいなら、子どもと一緒にいる時間がほしいし。
働いている忙しい人間に、暇な親の活動を押し付けるのもなんだかだし。
第一、そんな「教育ママたち」とうまく付き合っていける自信がないし。
まったくもってその通りだ。
実際、私も、長女が小学校に入学するまで、自分のことを、「絶対にPTA活動をしない親」だと決めていた。
そもそも、私はといえば、
恥ずかしながら、
保育園時代も、一度も役員の声がかかった覚えもなく、
いつだって、「その他大勢の、ただ保育園に子供を預けているだけの親」だったわけだ。
しかも、見るからに、「母親不適合」だと思われていた、
かなり、アイタタな保護者だったのだ。
まあ、私の文章からもわかるように、
実際、私は、言葉遣いも悪く、素行も悪い。
今は年齢とともに落ち着きをみせたとはいえ、
若かりし頃の私は、見た目も派手っぽく、
体育会系の本人としては絶対に認めてはいないが、
子供の友達からは、いつも、「元ヤン」と勘違いされていた母親だ。
しかも、うちから少し離れた保育園に通っていたため
近所の人は私の存在すら知らなかった。
しかし、子供たちだけは、
「いつも親にほったらかしにされている可哀想な姉弟だ」と有名になっていたらしい。
恥ずかしいったらほどがある。
そんな私だから、「自分はPTA活動なんてしない!てか、してはいけない!」
と信じ込んでいた理由もお分かりいただけるであろう。
というより、
そのPTAに全く興味がなかったというのが本当のところだ。
ところが。
蓋を開ければ、そんな私は、子供たちが小学校に通っている間、
ずっと、PTA活動に明け暮れ、
挙句の果てには、
小学校のPTA副会長、(女性最高位)
および、
市のPTA連合会の役員まで務める母親になっていたのだからびっくりだ。
身の程知らずとはこういうことだ。
そんな、「母親不適合」だった私が、どうして「PTA活動」を始めたのかは、次回の記事で明らかにしようと思っているが、
最初にお断りしておくけれど、
私は、自ら、「PTA活動をする母親になろう」と、意気込んでいたわけではない。
そしてまた、自ら、そんな「母親エリート」のような道を望んだわけでもない。
そんな気もないから、小学校入学早々、離婚までしているのだ。
それらはすべて、
そんな「母親不適合」な私を、なんの偏見もなく仲間に入れようとした、
ひたすらチャレンジャー精神旺盛な、
当時の、PTA役員や、教師たちのおかげだったのだ。
そのあたりのことは、何回かに分けて記事を書こうと思っているけれど、
私は、その頃の経験がなければ、
今の自分はなかったと素直に思っている。
その仲間たちに、無理やり連れ回されていた「子育て講演会」や、「PTAの会合」。
そして、
子供たちに何かがあるたび、
母親である私にかけてくれた教師たちの声。
その、仲間や教師たちと出会えていなければ、
私はきっと、今であれば、「毒親」と呼ばれていたに違いない。
結果私は、
些細なきっかけで、「PTA行事」に参加したことから、
数年後、
私を誰ひとり知らなかった町内会のおじちゃんおばちゃんたちと一緒に、
毎年、笑顔で町内の盆踊り大会に参加している私たち3人の家族の姿があった。
いつも、
「可哀想」とみられていた我が子達に、
親が仕事でいなくても、
親のように叱ってくれる、
いつも見守ってくれる近所の人たちができた。
そして、
近所のママ友なんてひとりもいなかった私に、
同じシングルマザーの友達も出来た。
私は、間違いなく、「PTA活動」によって助けられた、「元毒親」だ。
そんな物語を、次回お届けしたいと思います。
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