おしゃべり元保護者の目安箱

ただの元保護者が、ひたすら『学校』について語ります。 『いじめ』『部活動』『PTA』などなど。 先生方、そして保護者の皆さんと一緒に、語れる場になればいいなと思います。


「おしゃべり元保護者」の、プライベートブログです。
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 そちらでは、「子育て相談」も受け付けています。
 どうぞ、お越し下さい。

◆虐待◆

■「面前DV」、それでも子供たちに笑ってもらうために■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。

今日のあちらの記事は、
∟■他人の「重版出来」に、心の底から妬んでみた結果からみえるもの■
羨ましい先に、何が見えたか、ほんとその通りってお話です。

さてさて。

今日も、児童虐待防止推進月間にちなんで、
虐待関連の記事をお届けしようと思うのだけど。

「面前虐待」
「面前DV」

いわゆる、「子供の前で、暴力を振るわれること」だ。
「お母さんが、自分の目の前でお父さんに殴られているのを見る子供たち」の心も、
自分が虐待されるのと同じくらい、傷つきまくっている、ということだ。

胸が痛い。
ほんと、痛い。

実は、私の娘も、
そうやって、自分の目の前で、
繰り返し繰り返し、母親が父親に殴られているのを見ていた子供だ。

そのうえ、
父親といえば、どれだけ殴っても平気な私に、
支配感さえ感じられなかったのか、
気が付くと、
娘にまで手を出す父親へと変貌していったというわけだ。

ほんとうにその頃の娘の気持ちを考えると、
可哀想やら、申し訳ないやら、
そんな簡単な言葉では言い尽くしようのない、
大変な間違いを犯してしまったのが、この私だ。

だけど、
今、26歳になった娘は、
今でも父親が大好きだ。
そして、
その時のこと(自分が殴られていたことではなく、母親が殴られていたこと)を、ちゃんと覚えている。
だけど、それらを、
笑って、「ほんま、あんときはいらんかったわーーーっ」
と、母親にダメ出しする。

そして、
父親のことを、「あいつは、アカン奴や!」と、ディスりまくる。
それでも、
「結婚するときは、絶対にお父さん呼ぶから!」と、
一緒にバージンロードを歩くことを宣言している。

そう、娘は、
自分が小さい時、父親から殴られていたことを知っていても、
そして、母親が父親になぐられている場面を何度も見ていても、

それでも父親に愛されていたことを知っている。
そして、
それでも、父親を愛していることに罪悪感を持っていない。

それはどうしてだろう。

でもこれは、
「うちの娘は、心に傷を抱えていないよ」
ということではない。

間違いなく、「大きな大きな心の傷」になっている。
きっと、今、笑って話をしていても、その時の傷は、絶対に癒されてはいないだろう。

だからこそ、
親はどうしなければならないか。
そんな、心に傷を与えてしまった子供たちに、
どう接していかなければならないのか。


そんなことを語っています。
一度、お読みください。







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■虐待通報ダイヤル189の正しい使い方~虐待の連鎖は悲しみの連鎖~■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。

今日のあちらの記事は、
∟■昨晩の夢での会話が思い出せないため、まったく意味のない記事をお届けします■
夢って、時々どうでもいい場面しか思い出せない時あるよね、というお話です。


さて、
11月は虐待防止推進月間だそうです。

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もし、このおしゃべり元保護者が、今、必死に子育てしていたとしたら、
一番最初に通報されとるんじゃねえか、と、多少ビビっとる自分が無きにしも非ずではありますが、
この通報もちょっとしたコツがあると思っていて。

そのコツとは。


◆虐待をみつけようとしない。
◆みつけたら、躊躇なく報告する。


これが肝心。

これって、結局は、私がここずっと言っている、
「いじめに注目しない」
ってことと同じで。

交通取締のお巡りさん達のように、
近所の「虐待しそうなママさんが、虐待するのを待つ」のではないってこと。

その微妙なニュアンスを汲み取っていただけたらな、と思います。


子育てを苦しいものにするのは、
間違いなく、その、周りの目。

ママたちの心にいつも刺のように突き刺さっているのは、
「ちゃんと子育てできない母親」だと自分を責める、罪悪感。

そして、

「ちゃんと子育てしている」
「ちゃんと生きている」
そんな、当たり前の人たちの姿。

親からの愛情をたっぷり受け、いつも楽しそうに笑っている子供たちの笑顔。
なのに、
そんな風に、子供を愛してあげることのできない、自分の情けない姿。

周りの、自分を見つめる目。
ちゃんと子育て出来ない自分を見つめる、冷たいその眼差し。
そして、
「そんな親に育てられている子供たちが、可哀想」
という、一番聞きたくない言葉。

それは、小さい時、自分がかけられてきた言葉。
自分が、可哀想な子なんだと、周りに突きつけられたあの日。
そして、
「親から愛されていない」と知った、あの日のちっちゃな自分。

今、あの時の悲しみが、
なによりも鋭く、
なによりも深く、心に突き刺さっているママたちがいる。


虐待の連鎖は、悲しみの連鎖。


「自分はお母さんを選んで生まれてきた」


胎内記憶のある子供たちが、皆、口を揃えて言う言葉。
それは、
親から虐待されている子の中にも、同じ記憶をもつ子がいるという。


虐待の連鎖は、悲しみの連鎖。


今、多くの人達にそれを知ってほしいと思う。


元旦那から虐待を受けていた、
おしゃべり元保護者の「シークレット対処法」を述べています。
「面前虐待(子供の前でのDV)」にお悩みの方も、
そこから抜け出す方法を、一度笑いながらお読みください。

アマゾン、引き続き在庫切れ中です。
本当にご迷惑おかけしてすみません。








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■「産まない選択」があるのなら、「育てない選択」があってもよくね?という話■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です!

今日はあちらのブログで、
少し感動(?)我が家の母娘の物語を語っております。
■「お母さんの子に生まれてよかった」■


さてさて。
今日はこんなニュースから。

■自宅トイレで出産の17歳少女・・・■


この記事は、私がTwitterの方でフォローさせていただいき、
時々、そちらでお話させてもらっている、
碓井真史先生:新潟青陵大学大学院 教授(社会心理学)・スクールカウンセラー
の記事なのだけど、
この先生、時々テレビもご出演などされているので、ご存知の方も多いかも知れない。

私は碓井先生の言葉やお考えがとっても好きで、
心屋仁之助さん同様、よく、勝手にお勉強させてもらっている先生のお一人。
なので、このブログでも何度か記事をリンクしているはずだけど、定かではない。

私は、皆様はご存知かどうか、
実は、「里親業」を目指している人間で、
というのも、
長年、なにかと「子供の幸せ」を追求しているうちに、
こうして、偉そうなこと言ってるぐらいなら、
自分で、もう一度子育てしてみなさいよっ
的な、自分自身を戒める声が大きくなり。

てなことで、

そんな私は、ただいま、里親業のお勉強の真っ最中なのですが、
この17歳の子のように、
何も分からず、どうしていいかも教えられずに、
簡単に「せっかくの命」を奪ってしまうぐらいなら、
最初から、
「自分が無理だと思うのなら、誰かに育ててもらおう」
という選択肢をもっとアピールしてもいいのではないかと思ったりしている一人。


前にも、一度記事にしたことがあるけれど、
私は、
正直、「高校生の妊娠」については、
これといった持論がない。

「性教育」は、こうあるべき、というような、
ちゃんとした意見をもっていない。

だけど、ひとつだけ言えることは、

「高校生が妊娠なんてありえない」
「妊娠したら、自覚を持つべき」
「出産したら、自分で育てるべき」


なんて、「正論」ばかりを子供たちに押し付けることよりも、

「産まない選択」
があるのなら、
「育てない選択」
も、良しとしたらどうかと思うのだ。

もちろん、だからって簡単に子供を作らないよう、
これまでのように、きちんと教育していくことは当たり前として、
それでもできてしまったのなら、
一番優先すべきことは、

「お腹の子の命を守ること」

その大切ささえわかっていれば、
その、生まれてきた子の命は、なによりも価値あるものとして扱われるような気がして。

今、子供ができなくて悩んでいる夫婦は多い。
また、同性愛のカップルも、子供を求めている人たちもいる。

独り身でも、子供を育ててみたいと思う人や、
また私のように、子供の手が離れてから、
もう一度、子供を育てたい、と願う子育て経験者も多い。

そんな人たちに、育ててもらうことで、
その、命の価値は、なによりも変えがたいものに変わるのではないだろうか。
別に、「生みの親」でなくたって、
その子を愛することは十分できるはずだ。

だけど、
子供は、親を選んで生まれてくるとも言われていて。
体内記憶のある子達はみんな、
「お母さんの役に立ちたくて生まれてきた」
と、言うらしい。
虐待されている子等の中にも、そういう子がいるらしい。

だったらなおさら、私は思うのだ。

もしかしたら、
子供たちは、「自分を育ててくれるお母さん」の役に立とうと、
それでも、「生むことのできないお母さん」のために、
その、産んでくれるお母さんのおなかの中で、
「育ての親」に会うために、ずっと待っているのかもしれない、と。

「育てない選択」

それはきっと、
虐待など、悲しみの連鎖を断ち切るひとつの方法だと私は考えている。






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■虐待の連鎖は『悲しみの連鎖』だ!■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。

昨日、厚生労働省が発表したこのニュースを、
ネットやなんらかのニュースに耳にした方は多いのではないだろうか。

<児童虐待数> 連続増加

昨年、『虐待通報ダイヤル』が設定され、それまで隠れていた虐待が表に出てきた、という考え方を示す方もおられるし、
また、両親の口喧嘩などを子供の前で繰り広げることも、『面前虐待』とみなし、子供たちに与える心理的ストレスに対応することとなった流れから、その数が増えた要因だとも言われている。

が、25年連続って。
それはどんなもんよ?
としか、私には言葉がない。

これって、『いじめ問題』と同じで、
「それだけいじめ問題に真摯に取り組んでいる証拠だ」
「減っているほうがおかしい」

と、お偉いさん方はみな、ただその数字の「言い訳」を繰り返すけれど、
いい加減、「その言い訳はこれまでの取り組みと矛盾している」と、
気づいて当たり前ではないかと思うのは私だけなのだろうか。

そもそも。
その、
「虐待(いじめ)の数が多ければ多いほど、世の中(その学校)は真摯に取り組んでいる証拠だ」
「虐待(いじめ)の数が少ないのは、まだまだ取り組みが甘い」
「その数が減っているのは、世間が見て見ぬふり(学校は、隠蔽)している」

という、見解。

それって、
私が「この世の三大不思議」と位置づけている
「隠れてまで違反者を待ち伏せする」
「検挙数が多ければ多いほど、喜ばしい」

とされる、
実際のところは、違反者を少なくすることよりも、
その数を増やすことが目的なのではないか、とまで疑ってしまう、
あの、「交通取り締まり方式」と全く同じなのではないかと私は思っている。

そんなやり方で、本当に『虐待やいじめ』がなくなると思っているのだろうか。
実際、その交通取り締まりで、本当に違反者や、事故は減っているのだろうか。

その矛盾。

そもそもお偉いさんたち自身は、
「いじめ」も、「虐待」も、
「あるに決まっている」という前提で、
それらのシステムを作っている。

それなのに、

「いじめ(虐待)ゼロを目指そう」

って……。

というより、
お偉いさん達だけでなく、
大人たちは誰もが、
「虐待もいじめもなくならない」
ってことわかってる。
もちろん、それらは決して許されることではないけれど、
「アカン」って言い続けることは大切だけど、
それでも、
「人ってそういうもんだ」
「中には、そんな人たちもいる」
ってこと、みんなわかっているのだ。

そして、それは、決して特別なことではなく、
というより、
そういうことをやってしまう人は、
特別、残虐非道な人間だけでなく、

普通に生きている人たちだって、
ちゃんとした、「人の道」を知っている人たちだって、
誰よりも、愛情深い人だって、
つい、人をいじめたり、
つい、子供に手を出したり、
誰かと、喧嘩をしたりしてしまうってこと、
誰だってわかっている。

それなのに、

「いじめの加害者は、卑劣で人の心を持っていません」
「虐待は、愛情ではありません」


その、子供たちへの言葉は、
どれだけ子供の心を傷つけるかということを考えたことがあるだろうか。
たとえ、
どんなに優しく語られたとしても、その言葉は、
どれだけ子どもの心に深く突き刺さっているかということを、
一見、優しいその教育者らは、気が付いているのだろうか。

今、
広義では、「虐待」と言われても仕方ない言動を繰り返す親は多い。
先日あった、「置き去り事件」のように、
その行為だけを「虐待」と言ってしまえばその通り、としか言い様がない、
不器用な親は大勢いる。

その子達に届く、
「虐待は愛情ではありません」
という言葉。
「そんな親に育てられている子達は不幸で、可哀想な存在だ」
という周りの目。
そして、
「そんな親から、離さなければならない」
という、世間の声。

その、「優しい大人の声」により、
「自分は親から愛されていないんだ」
と気づかされる子供たち。

「自分は、親からも愛されない、不幸な可哀想な子なんだ」
と、自分の存在価値を落としていく子供たち。

そうやって、「親から愛されていた記憶」は、
「可哀想だった自分の姿」に塗り替えられていく。

人の記憶は、80%が自分の都合の良いように塗り変えられる、と言われている。
つまり、現在の自分の状況を正当化するために、
無意識に記憶の方を塗り替えているということらしい。

そうやって、子供の頃の記憶を塗り替え、
やがて、大人になり、子供の親となっていく。
そして、
「親から愛されていた記憶」も、
「親を愛していた記憶」も、
すべてなかったことにし、
自分が親からされたことと同じことを繰り返す。
それが、虐待の連鎖だ。

それは、「親から暴力的を受けた子は、同じように子に手を挙げる親になる」などと、安易な極論を語る教育者もいるけれど、実際は、その数字は30%から90%と、そのデーターにより大きく変わっている状況だ。
なので、「一概には言えない」と述べる専門家も多い。

実際、私は子供にすぐ手をあげる親だったけれど、私自身は両親から虐待を受けたという記憶はない。ただ、悪さをしてゲンコツをくらった回数は多いけれど、同じように育てられた3人の兄弟は、決して子供に手をあげる親ではない。

そんなことよりも、
その、「親から愛されなかった」と記憶を塗り替えた子供たちが、
無意識に、「それでも親から愛されていた」ということを信じていたくて、
同じように自分と同じように我が子を苦しめてしまう現象が、本当の虐待の連鎖なのではないだろうか。

それを私は、「悲しみの連鎖」と呼んでいる。


どれだけ我が子に愛情を持っていても、
手を出してしまう親がいる。
愛情があるからこそ、
手を出してまで、伝えようとしてしまう親もいる。

中には、愛情の欠片も持ち合わせず、
子供らの苦しみを知ろうともせず、
感じようともせず、
子供らの命を奪っていくそんな親もいる。

だけど、わかってほしい。
それでも、子供たちは、その親を愛している。
どれだけひどい仕打ちをされても、
子供たちは、必死に、その親の自分への愛情を確かめようと、親を愛し続けているのだ。

そして、子供たちは、そのかすかな親からの愛情を、しっかり感じ取っているのだ。
その子達に、
「愛されてるんだよ」
って、言ってやることはいけないことなのだろうか。
「その愛し方は間違ってるかもしれないけれど、それでも愛されてるのよ」
「親を愛してていいんだよ」
って、教えてあげることは、その子達の未来の弊害になるのだろうか。

その子達に、
「そんなことをする親に愛情はない」
「あなたたちは、不幸で可哀想な子なのよ」

と、声をかけることは、本当に優しいことなのだろうか。

今、親から虐待を受けている大勢の子供たちに、
私たちがかけてあげるべき、本当の優しさって、どこにあるのだろう。

それは、
「あれも虐待、これも虐待」
と、
世の中が一斉になって、目を光らせることなのだろうか。

「虐待は愛情ではありません」
と、それでも感じていた親からの愛情を、否定することなのだろうか。

私は今、強く、疑問に感じている。




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■尾木ママを叩いている場合ではなく、その「安易な発言」を控えよう■

こんばんは。
おしゃべり元保護者です!

世の中を賑わせた、大和くんの事件。
せっかく、大和くんが発見され、やれやれと安堵したところで、
今度は、ちょっとばかし、軽率な発言をしてしまった尾木ママが、
ブログで謝罪するといった自体になっているようで。

まあ、尾木ママの発言に関しては、これまでも幾度となく「アイタタ・・・ソレいうてもうた」と、
私も思わず頭をひねるようなことがあったので、
今回も、「それは言うたらアカンやろ」と、思っていたとは言え、
これなんだろうね、世の中の人は、本当に「正義のヒーロー」ばかりのようで。

確かに尾木ママは、結構簡単にモノをおっしゃる。笑
だけど、この方は、
とんでもなく、
「子供が大好きなおっちゃん」なのだ。
だからこそ、
完全に「子供の味方」になって、「子供の立場」になって意見をしてしまうところがあり、
そこらへんは、少し温かな目で見守る必要がある、というのが、
私のかなり上から目線の見解だ。←失礼にもほどがあるけれども。

しかしながら、この方は、教育者として日頃厳しいご発言をする立場もあってか、
今回も、この件をしっかり謝罪しておられた。
そのあたりは素晴らしいと私は素直に思う。

完璧な人なんていない。
多少、アイタタ発言があったところで、
みんなで寄ってたかって叩くのは違うで?

と、少し尾木ママ擁護をしたところで、
それでも、
私的に、尾木ママには今回ばかりはチクッと申したいこともある。(失礼は承知で)


確かに、想像だけで、この大和くんの父親を疑ってしまったのは真摯に謝罪するに値すると思うけれど、
それだけでなく、
やはり、
この大和くんの父親を、「虐待だ!」と決めつけた発言をしてしまったことだ。
というより、尾木ママだけでなく、
この事件にまだいろいろ拘っている多くの人たちに物申したいのだ。

あるタレントはツイッターでこう発言していた。

「この父親を安易に「虐待だ!」という方が、子供にとっての本当の虐待だ!」

私は、その通りだと思った。


虐待にはいろいろある。

今回の大和くんの父親がしてしまった行為だけを切り取れば、、
それは虐待と言われても仕方ない。
大和くんの父親は、
感情的になって冷静な判断ができずにしてしまった行為を認め、
「虐待と疑われても仕方ない、行き過ぎた躾であること」を、
深く反省すべきだと思う。
つうか、もうすでに大和くんのお父さんはちゃんとわかっている。

それに、
大和くんは、日常的にそのような躾をされていたわけでもなければ、
暴力的な行為をされていたわけでもない。
むしろ、本当にいいお父さんだったのだ。
また、この父親は、「人に迷惑をかけてしまったのなら厳しく叱る」、といういう、
「親としての線引き」をしっかり持っていたわけだ。


にも関わらず、
日頃の親子関係の情報も入っていない時点で、
「虐待だ!」
と、決めつけ、多くの子育て中のお母様方に発信してしまったことは、
やはり、少し、「行き過ぎた発言」ではないかと私も思う。

つうより、もし、
このような躾を繰り返している親がいるとしても、
第三者が、「虐待だ!」と親を責める行為を、
少し控えるべきだと私は思っている。

私たち「心理カウンセラー」など、人の心を扱うものが、
一番、子供たちのために気をつけてもらいたいのが、
そういうことなのだ。

子供たち自身が本来感じている、親への信頼を奪っていくのが、
その、第三者の、「善意だと勘違いして発言する、親を貶める声」なのだ。

「正しい子育て」を、完璧にこなせるものだけが、
子供への愛情があるわけではない。
親にはそれぞれ、「愛し方」があり、「育て方」がある。
「手本通りの子育て」ができなくても、
精一杯、子供を愛している親だって中にはいるのだ。
そして、その親からの愛情をしっかり感じている子供たちは大勢いるのだ。

間違いなく、大和くんは、ご両親を愛している。
そして、これまでの時間により、
ご両親への信頼があるから、
「必ず探して見つけてくれると思った」と、六日間も、待つことができたのだ。
そして、これは、
現時点での、大和くんの「それでも愛されている」という、「自己肯定感」の高さでもあるのだ。

それなのに、
「そんな置き去りされた大和くんが可哀想」
「そんな親に育てられて可哀想」
「置き去りなんてできる親なんて最低」
「虐待する親に育てられた子は可哀想」
という声が、大和くんに届くことで、
どれだけ大和くんが傷ついてしまうか、想像してほしい。

そんな風に、親からの愛情を、
周りの声によって、
無いものにして成長してしまった人たちが、どれだけ多くいるかを知ってほしいのだ。

ましてや、
この6日間、大和くんがネットやなにかを見る状況にあった場合、
ニュースで、「それは虐待だ」という声を聴いてしまったとしたら、
どれだけ、
大和くんに不安をもたらせたかわからない。

本当に、「子育て」に関する安易な発言は、
虐待に相当する、ということを、忘れないで欲しい。

だからこそ、
「温かな無関心」でちょうどいいのだ。
これが虐待かどうか、
父親が処罰を受けるのかどうかなんて、
いつまでもこだわっているのではなく、

親がそれぞれ、今回の事件を通して自分を振り返り、
何かの糧にできたらそれでいいのだ。

間違っても、子供たちが、「大和くんは可哀想だ」なんて思わないように、
大和くんの頑張りを褒めてあげてほしい。





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