皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。

ようやく少し時間が取れたので、前回の続きを更新していこうと思っています。


と、その前に。


今、ムーブメントになりつつある、(なっているのかな?) 「部活動問題」について、少し元保護者の視点で、ウンチクたれてみようと思っております。

私が、この「部活動問題」の先頭に立って、勇気ある発言をしてくださった真由子先生と出会ったのは昨年のことだ。
ツイッターの方で、ふと「部活動」という言葉を見かけ、そのどなたか(記憶にない)のツイートに貼られたリンクに従いあるブログを読みに行き、真由子先生のブログにたどり着いた、ということだ。

その内容は、まさに衝撃的だった。
私自身、中学、高校と体育会系部活に籍を置き、そして、我が子たちも、当たり前のように部活動に勤しんでいたことから、その先生たちが置かれている状況は、まさに、寝耳に水。

「ひえーーーっ!先生らこんなことになっとったんかあ!」
と、思わず、
「今、部活動はこんなことになっとるらしい」
と、ツイートしたことから、真由子先生にフォローしていただき、それから、いろんな先生方の発言等を、まるで、「家政婦は見た」ばりに、こっそり眺めているという状態だ。

とはいっても、こんな性格であることから、その先生方の発言に反応し、時折、余計なリプをするという「イッチョカミ」を繰り返している私ではある。

そんな私は、ご想像通り、「部活動大好き元保護者」だ。
そして、
あれだけお世話になっていた先生たちの状況を、なんとしても改善してほしい、と願う元保護者だ。

だからこそ、
今、それらの問題を、勇気を振り絞って発言してくださった真由子先生を始め、数々の先生方に伝えたいことがあるのだ。

私は、今、ようやく世間的に「部活動問題」が公になりつつあることを、心から安堵し、そして、心底応援したいと思っている。
そして、真由子先生が勇気を出して一歩歩み始めたことが、こんなにも大きな動きに繋がったことが、本当に嬉しく思えて仕方がない。
そのため、いろんな先生方の発言を、時間が許す限り眺めてきているのであるが、その行為をするたびに、いつも、「ある疑問」を感じ、心がブルーになる自分がいる。

そして、この私が感じる「少しの疑問」が、今、当たり前に「正しいはず」の、「勇気を持ってメスを入れた状況」をも、心のない言葉で批判される、という自体に繋がっているのではないかと思うのだ。
そしてまた、 「先生方までが一つになりきれず」、同じ教師の立場からも、「反論」されるという状況を生み出しているのではないかとさえ思っている。
 
その私が抱える、「ある疑問」とは。

それは、なぜ、「部活動大好き教師」を馬鹿にするのか、ということである。

ちなみに、部活動を真剣に指導してくださっている教師ら「部活動大好き教師」と呼んで、揶揄している流れにも私は半分怒りを覚えているが、ここでは、あえて、私はそういう教師が大好きだ、という思いを伝えたいことで、そう表記することにしている。

これは、おそらく、長い間、 我が物顔で、主導権を握り続けてきた「部活動大好き教師」らが多いのだろう、ということは容易に推測できる。
言葉を変えれば、運動ができるだけで権威を振りかざす、「体育会系ゴリゴリ教師」らに疑問を抱きつつも、反論できずに苦しめられてきた「ノーマル教師」たちが、ここぞとばかりに、反旗を翻している状況だろうと思うのだ。つうか、そうとしか見えない。

それでもだ。

これは正直、「部活動大好き元保護者」としては、気持ちのいいものではない。
私は立場上、その「体育会系ゴリゴリ教師」を含めた、「部活動大好き教師」たちに感謝の念しか抱いていない。

あーそれはそれは、良くしていただいた。ご自身の家庭もあるだろうに、休みの日も、すべて部活動に捧げ、うちの息子の場合は、三年生時、担任としても、本当に進学問題から家庭問題まで、親身になって対応していただいた記憶しかない。
そんな教師たちが、そのような状況下にあったことを知れば、そりゃ、「どうにか改善して欲しい」、という思いに駆られる「部活動大好き保護者」は、多いはずなのだ。

それなのに、この、「部活動大好き教師」が、完全に虐げられているこの状況。

実際、その、教師たちの「職員室での問題」は、世間は全く関係なく、そんなこと訴えるまでもなく、自分らで解決してくれ、とさえ思っている。
ましてや、子供たちに、「いじめはいけない」と指導しているはずの教師らが、そう、その我が物顔の「体育会系ゴリゴリ教師」らも、そして、ここぞとばかり発言し始めた「体育会系大嫌い教師」らにしても、ただ「自分と違う価値観を持った教師」をお互い否定しているこの状況を、SNSを通して子供たちが目にすることがあったらと、誰か一人くらい気がついたらどうなんだ、と、私は一言文句も言いたくなる。

そんな状況を毎日のように目の当たりにしていると、、果たして、この運動を手放しで応援して良いものなのかも考えさせられるのだ。
この流れの中で沈黙している、そういった第三者も多いのではないか、と思われる。

人が、なにかそれまでと違う発言をすれば、それが確信付いていればなおさら、反論されることは想定しなければならない。
この真由子先生の勇気ある発言も、誰の目から見ても「世間の企業マン」からは反論されるだろうな、と想定できる発言だ。
だからこそ、
教師たちが、一つになってこの運動を盛り上げて欲しいのだ。

「学校はブラック企業だ」と、発言するのではなく、
営利目的の、そこらの企業と教師を一緒にするな、と言って欲しいのだ。
「世間知らずだ」と批判されたなら、
「自分たちは、国の宝でもある子供たちを預かっている教師だ」と、誇りを持って欲しいのだ。

だったら、なおさら無給で働けばいい、なんて声は無視すればいい。
そんな低レベルの反論に、いちいち反応しなくてもいい。
そして、
自分たちだけが正しいのだと、自分たちを正当化しようと躍起になるのではなく、
そういった「自分とは違う意見」をすべて理解してこそ、
自分たちの思いも、理解してもらえるということを忘れてはならない。

人は、自分が幸せだからこそ、子供たちを幸せに導いていけるのだ。
教師たちが、当たり前の生活を保証されない限り、
子供たちが健全な心を育むことは期待できない。

そして、

教師たちが、お互いの価値観を認め合い、尊重しあう姿を見せなければ、
子供たちの間で起こる「いじめ」の解決などできるはずがない。


身内同士で争っている場合ではない。
「拒否する選択権をください」?
つーか、部活指導が嫌な人は、署名を募って自分たちを正当化せずとも、
堂々と拒否すりゃいい。
いやいや指導される子供たちの方が迷惑だ。
だから私は、これだけ応援しようとも、てか、その行動は大いに賞賛しても、
署名はしないという、屁理屈元保護者だ。
そんなもん、私には、ただ「人の評価ばかりを気にして、正しいといわれることだけしかやってきていない教師」らの、
少し、ヘタレな行動にしか見えない。
人がどう言おうとも、自分がそれが正しいと思うのなら、たとえその学校で一人であっても貫いてみなさい、って話だ。

「世間が認めてくれない」?
「教師のあるべき姿」?

そんなもん、部活動だけに求めるはやめろ、と言ってやりなさい。

「上司がうるさい」?
「自分たちはそれでやってきた」?

そんな上司には、一言いってやりなさい。
「アンタらの時とは、エライ違うやろが」と。

アンタらは、こんなに忙しくなかったやろ、と。
アンタらは、アホな保護者には、ちゃんと文句言えたやろ?と。
昔の保護者は、こんなに文句言ってこなかったやろ、と。
昔の保護者は、教師に何から何まで責任追わせてこんかったやろ、と。
昔の世間は、なにか問題あるたびに、教師を攻撃してこんかったやろ、と。
昔の世間は、そんな「教師の姿」に感謝も、尊敬もしてくれたやろ、と。

今の「ヘタレ」な学校を作ったのは、そんな世の中やろ、と言ってやりなさい。
自分らは、今のことしか知らず、そんな学校で育ってきた教師だ、と、言ってやりなさい。

そして、

自分たちが、子供たちに未来のつくり方を教えているんだ、と、
堂々と、叫び倒してやりなさい。


部活動をしなくても、
自分は自分のやり方で、「教師を全うする」と言い切ればいい。
もちろん私は、「部活動大好き教師」だけでなく、
そんな、型破りな教師たちも大好きだ。
型にはまった、上司に言いなりの、誰が見ても「立派な教師」よりも、
そんな風に自分を貫ける教師の姿も、子供たちに見せてあげて欲しいとさえ思う。

どんな教師が素晴らしい、というわけでなく、
どんな形であれ、そこに、「子供たちに対する真剣な思い」があるのなら、
それだけで、私たち保護者は感謝できる世の中になっていくことが理想だ。

そして何よりも、

こんな状況であっても、それでも部活動に懸命に向き合ってくださっている教師らがいること、そしていたことを、決して忘れてはいけない。
中には、とんでもない教師らがいるのだろう。
そんな奴らを、アナタたちが否定してしまう気持ちもわからなくはない。
しかし、そんな奴だって、同じ状況なのだ。
その、不備だらけの環境の中で、
そいつらは、そいつらの「自分のやり方」を貫いているだけだ。

それでも、広い全国を見渡せば、「だから部活動をしたくない」と言葉を上げることなく、「子供たちの幸せ」のために、家族を説得し、我が子の寝顔を見つめながら、「自分の思う教師としての道」を全うしようとしている、アナタから見ても、尊敬すべき教師は大勢いるはずだ。

そして、アナタたちが批判する上司たちも、
こんな世の中で、矢面にたち、格闘していてくれているのだ。

その教師らの姿を、アナタたちが「間違っている。自分たちが正しい」と言い切ってしまっては元も子もない。
むしろ、アナタたちが、今、労働基準の改訂よりも先に、「拒否する権利」を求めるというのなら、
それ以降、負担が大きくなるはずのそんな教師たちの苦しみを、アナタたちが率先して訴え続けていくことを約束しなければならないはずだ。


私は思う。

今、教師たちが本当にやらなければならないことは、
それぞれの立場を正当化しようと、
自分とは違う価値観を持つ教師らを否定しあうことではなく、
いろんな価値観を持ちながらも、
教師が一つになって、
何よりも先に、今の、労働基準と、現実が伴っていない事実を訴え、世論に変えることではないだろうか。私的には、そのことで署名を募るという方が、素直に賛同できたと思うのだ。

その流れから、「基準に伴えば部活動指導がしたい」という教師も出てくるはずだ。
それを見極めようとする段階、つまり、そのステップをまず踏むことで、
部活をしようとしまいとも、
どちらの教師も、
自分たちが心から安心して暮らしていける毎日の保証を得ることを、すべての教師が認め合うことが出来ると思うのだ。

部活動をもっと力を注ぎたい教師には、それだけの保証をしっかり与え、
部活動ではなく、授業に心血注ぎたい教師には、
それができるだけの機会を与え、
どちらでもない教師には、「自分たちは何を子供に与えられるか」を、じっくり考えさせる時間を与え、
そして、
それらどの教師らにも、平等に権利を与える管理職には、
それらを、自分の範疇で見極めることができるだけの自由を与える。

私たち世間が、教師たちにそれらを与えられることになったとき、
初めて、
子供たちが、本当に心から笑える学校になるのではないだろうか。


部活動が大嫌いな子供もいる。
勉強だけがすべての子供もいる。
そして、
勉強は大嫌いでも、部活動があるから学校に通える、そんな子供たちもいる。
そんな中、何が目的で学校に通っているのかがわからない、そんな子供たちも多いだろう。

しかし、どの子供たちも、教師にとっては、同じ、「生徒の一人」のはすだ。
どの子が正しくて、どの子が間違っているはずはない。
教師が、自分の偏った価値観で、
「正しい生徒」
「間違った生徒」
と、振り分けているとしたら、それは、とても恐ろしいことだ。
そんな風に、「こうあるべき子供の姿」を決めているとしたら、私は非常に危機感を覚える。

今、教師や世間の抱く、この「部活動問題」に対する思いは、
そのまま、子供たちを見つめる思いに反映してはいないか。

今一度、私たち大人は、あらためて、「それぞれの価値観」を認め合い、
一つの正解ではなく、たくさんの正解の中から、
自分だけの「答え」を見つける勇気を持つ時期にきているのではないだろうか。

そして、そのいくつもの「答え」を認めることが、結果、「一つになること」であることを、
子供たちに、教えていってほしいと思う。



元保護者の分際で、失礼な発言があったことは、心より認め、反省します。
申し訳ありませんでした。
そして、
私のようなものがこのようなことを発言しなくても、
もう、そのように動いておられる先生方がおられることを、心から願っています。

そして最後に、
真由子先生を始め、今、勇気を出して声を上げた若い教師たちを、
心から尊敬し、応援しております。


お読みいただいてありがとうございます!
どちらかひとつ
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