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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。
何日かこちらでの更新をお休みしていましたが、
あちらではちゃんと更新しております。
∟■「逃げ恥」に一本取られた■
∟■ジージの運転免許を取り上げる日■
他愛もないお話ですが、どうぞご覧ください。
さて。
今日は、少し前の記事をお読みいただこう。
それはこれ。
∟◆女性教諭 生徒に屈辱的なあだ名・・・◆
これ、ブログ更新をサボっている間にYahooニュースになっていたのだけど、
記事にしようとお気に入りに保存したまま、
すっかり忘れていたニュース。
このニュースが流れたとき、
私は、小学中学と仲のよかった、ある一人の友達を思い出した。
その女の子のあだ名は、「さる子」。
今なら十分、「いじめだ!」とお叱りを受けるであろうあだ名。
たまたま、その女の子は、
ちっちゃくて、髪もショートカットでモンチッチみたいだったことから、
誰からともなくそう呼ぶようになって、
誰も、気にしたことなんてなかった。
おそらく、
その、「エロ〇〇」と呼ばれた少年と同じように、
女の子にとって、とても悲しい屈辱的なあだ名だと言われても反論はしない。
だけど、私たち同級生は、
一度たりとも、担任や、周りの大人たちからお咎めを受けることなく、
小中学時代を過ごした。
だけど、ここ数年、
そういう「いじめ」なんかに関わることになり、
そのことを、時々振り返ることがある。
あれは、いじめだったのだろうか、と。
そして、
その子は、「さる子」と呼ばれて、悲しかったんだろうか、と。
間違いなく、あの時の私は、
それを「いじめ」だとは思っていなかった。
「純子ちゃん」って、その子の本当の名前を呼ぶよりも、
ずっと、親しみがあるような気がして、
ってよりも、
そう呼ぶほうが、仲良い友達のように思っていた。
それに、純子ちゃんだって、
「さる子」って、呼ばれて、「なに?」って、普通に返事もしてくれたし、
純子ちゃんのおばちゃんだって、うちに遊びに行って「さる子」って呼んでいても、
一緒に笑って会話をしてくれていた。
だけど、
本当は、嫌だったのかもしれない。
もっともっと、可愛いあだ名をつけて欲しかったのかもしれない。
だけど、
その頃の私は、「あだ名」のある「さる子」がすっごく羨ましかったことも覚えている。
「杉のちゃん」じゃなくて、自分にも「あだ名」があればいいな、って思っていたことしっかり覚えている。
それに、
「〇〇さん」って、いつまでも苗字で呼ばれているほかの友達が、少し可哀想にも思っていたりもした。
だから、自分が知らない子ばかりがいる、
県外の高校に入学して、
すぐに出来た友達が、「杉のは、バカボンに似てるから、なおぼん(本名ね)」ってあだ名つけてくれてことが、
とっても嬉しくて仕方なかった。
てか、バカボンって・・・
今なら、絶対に「いじめだ!」って訴えてやるっ(笑)
だけど、結局私は今でも、
「なおぼん」と呼ばれている。
姪っ子甥っ子だけじゃなく、子供たちの友達もみな、
私のことは「なおぼん」と呼ぶ。
今では親や、兄弟たちまでもが皆、私のことを「なおぼん」と呼んでいる。
だけど、私は、「バカボンに似ているから付けられたそのあだ名」が大好きだ。
だから、純子ちゃんだって、「さる子」って呼ばれていたあの頃を、
きっと、「いじめられていた」とは思っていないと、信じていたいわけで。
まあ、それからずっと会っていないので、
今では何とも言えないけれど。
その「エロ〇〇」と呼ばれていた子、
本人が辛かったのなら、それは辛かったんだろう。
その辛さを、おかしいとは言わない。
だけど、
それはいじめだ!
って言ってしまったら、
今、どこかでそのニュースを当時の「さる子」や「なおぼん」が耳にしたとき、
きっと、
「自分はいじめられてるんだ」
って思ってしまうよね。
そういう流れだけは、なんとも阻止したい自分がいて。
というより、
こんな時、ちょっと気づいて欲しいのだ。
そもそも、
子供って、「残酷」だからね。
うちの弟の同級生の女の子なんて、
「う●子」と、信じられないあだ名を付けられてた子もいる。
その子と、弟は今でもご近所で、とても仲良く家族ぐるみのおつきあいをしているけれど。
人って、
わざわざ、誰かを
「いじめよう」とか、
「傷つけよう」とする子なんてほんのひとにぎりで、
ほとんどの人が、
無意識に、誰かを傷つけている。
その中には、「正義」と勘違いし、
間違いを犯してしまった人たちを、
日頃の鬱憤を晴らすように責め立ててる人もいる。
そんな人たちは、相手が傷ついていても、「正義だから」と、
相手の苦しみは考えていない。
そう、人って、「傷つけられること」には敏感でも、
傷つけることは、意外と平気。
それが人間。
そんな日常的な言動を、
「傷つけられた」ととるか。
「自分が勝手に傷ついた」ととるかで、
その子の「心の傷」の深さが変わってくる。
そう、子供は残酷。
平気で人を傷つける。
だけど、
成長する過程で、
自分が傷ついた経験から、
その痛みを知り、
「傷つけないように」
配慮することを覚えていく。
本当は、ある意味、
そうやって、傷つけてしまうことを咎めるのではなく、
お互い傷つけ合いながら、
その中で、
傷つけない優しさ
傷つかない強さ
を、身につけさせることも、大人の役割だと私は思っている。
お読みいただいてありがとうございます!
どちらかひとつ
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