おしゃべり元保護者の目安箱

ただの元保護者が、ひたすら『学校』について語ります。 『いじめ』『部活動』『PTA』などなど。 先生方、そして保護者の皆さんと一緒に、語れる場になればいいなと思います。


「おしゃべり元保護者」の、プライベートブログです。
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 どうぞ、お越し下さい。

2016年08月

■子育てが至福で絶望である7つの理由■



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心笑亭 杉のの部屋ペイント

皆さまこんにちは。
おしゃべり元保護者です。


今日のこの記事のタイトルは、
アメブロさんの方で読者登録させていいただいている方のブログ記事のタイトルを、
そのまんまパクらせていただいております。
今日の私のアメブロの方でリブログさせていただいているので、
皆さまも一度ご覧あれ。
■子育てが至福で絶望である7つの理由■

あー、ほんま、ええことゆうておられる。
私的には、自分だっておんなじようなことゆうてるつもりではいるけれど、
どうしてか、こんなにもクオリティーの差が発生してしまう。

それは別として。

この方のおっしゃってることは、何も子育てに限ってのことではない。
私は常々、
「物事に絶対的な概念はない」
と言っている。

どんな目の前の事象も、
自分の心の在り方ひとつで、
それが「至福・素晴らしいもの」になるか、
「絶望・最悪なもの」になるかが変わるということだ。

それは、以前、体罰教師にお悩みの方へのお返事でも書かせていただいたけれど、
体罰を見つめる子供自身が、
それを絶対的な「悪」としてみなし否定し続けるか、
「そんなこともあるよね」と、受け入れるかで、
その子の目の前に見える世界が全く違ってくる、ということなのだ。

先日も記事にした、
「貧困」を、不幸だとしか思えない子たちがいる。
同じ「貧困」でも、それを笑いに変えて生きている子たちもいる。

父親がいないことで、自分を「可哀想」としか思えない子たちがいる。
だけど、父親がいなくても、笑い飛ばせる子たちは実際にいる。

だったら、
親の自分が率先して、
どんなことも、「至福」と感じられる生き方を子供たちに見せて行こう。

だけどそれは、
決して、自分の心に嘘をつくことではない。
常日頃から、
「嬉しいとき」
「面白いとき」
「悲しいとき」
「辛いとき」
それらの感情を、しっかりと自分自身が受け止めることができてこそ生まれるものだ。

子供の前では、辛くても笑っていなくちゃいけない。
悲しくても、子供の前では明るくいなくちゃならない。
腹が立っても叱っちゃいけない。
親はあれをしちゃいけない。
子育てはこうしなくちゃいけない。

と、「世の中の正解」に縛られ、
自分の感情を押し殺しているから、
「子育て」や「自分の人生」が「至福の時」にはならないということだ。

そんな風に、
「ありのままの自分」をどこかにおいやって、
自分自身が、「いい親・正しさ」に毎日責め立てられている人こそ、
人様の生き方や、人様の子育てに、
あーだこーだと批判の心が生まれてくる。

その「正しさ」から解放されたとき、
どれだけ、世の中が変わるかを体験してみよう。

自分のこれまで抱えてきた問題も、
誰にも言えなかった悩みも、
人とは違う、自分を苦しめ続けるコンプレックスも、
ただ、それら自体が「イケナイこと」なのではなく、
すべて、
「それを見つめる自分の心」が、
勝手に、「悪」とみなしているだけだということに気がつこう。

自分をまず、許そう。
そんな自分を愛そう。

そして、

あなたが信じてきた「許せない他人」を許そう。
愛せなくても、「ま、そんなこともあるよね」と、受け入れてみよう。

それができたときはじめて、
目の前のすべてが至福の時となる。

気が付くと、

「なんか知らん幸せやわ、毎日!」

と、笑える現実が、寄ってくるから。


そしてなによりも、

そんな親の姿を見つめる子供たちは、
必ず、幸せな、笑いまくりの子供に育つことを、私は保証したい。





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■「死にたいぐらい辛い」のなら。■



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心笑亭 杉のの部屋ペイント

皆さまこんにちは。
おしゃべり元保護者です。

昨晩、長年愛用していたパソコンをぶっ壊してしまいました。
そのことを今日、あちらでつらつら述べております。
「こいつアホやなあ」
と、一笑かましたい方はどうぞ。
■今更気づいても後の祭り■


さてさて。

もう夏休みが終わったお子さんもいらっしゃるのでしょうか。
この時期、
「子供の自殺」
なんてものが増えるというのが例年の決まり事となっており、
すでに何件か、そういった痛ましいニュースが耳に入り、
「どんなもんか」
と、胸を痛めている次第でありますが、
まずもって、
その子たちのご冥福をお祈り申し上げるばかりで。

このような事件が繰り返されるたびに、
世の中は、
「いじめ」に対しての学校や教師の在り方や、
または、
その「いじめ」を繰り返す子供たちの「心」を議論するばかりで、
どうも、
「それでも死を選ぼうとする子供の心」は、すべて「可哀想」で終わらされてるような気がしてならない。

どうして、
子供たちは、
「死を選ぶほどの辛さ」を、「親」に伝えてくれないのだろう。
「助けて」って、「親」に言ってはくれないのだろう。

「子供たちは、親を悲しませたくないから」
「親思いの子どもほど、その姿を親に見せられない」


と、多くの大人がそう回答する。
あたかも、
それが、「親思いの子供の姿」として、当たり前だという先生もいらっしゃる。

だから、学校が気づけよ、と。
だから、教師がなんとしても阻止せよ、と。
だから、「いじめっ子ら」を、懲らしめろよ、と。


いやいやいやいやいや。


その、「死にたいぐらい辛い思い」を、
親に伝えられる子供に育てること。
その、「かっこの悪い自分の姿」を、
親にいつだって見せられる子供の心を育むこと。


それが一番先決ではないかと私は思う。


というよりも、
確かに、我が子がそんな状況になっていれば、
親は悲しむに決まっている。
兄弟だって、そのことを知り、
いつもと違うよそよそしく気遣かわせる毎日になるかもしれない。

だけど、


その先に、「また笑いあえる日常」がやってくる、という未来を信じさせること。

これが一番大切なのだ。

そのために、
親も、子供たちに、そんな情けない姿見せてあげようよ。
親として、
立派な姿ばかりでなく、
親として、
「正しい姿」ばかりでなく、

めちゃくちゃへたれな姿、日ごろから子供たちに見せてあげればいい。
うちで起きたトラブルも、
夫婦げんかも、
お父さんの浮気も、
お母さんのママ友にいじめられた話も。
全部、さらけ出して、見せつけてあげればいい。

泣いてる姿も。
怒っている姿も。
どうしようもなく、情けない姿も。

そんな「へたれな親の姿」を見つめる子供たちは、
気が付くから。
それでも、「自分は親を愛していること」を。
そうすれば、
「今の自分がどんな姿でも、どんなに親を悲しませても、親はずっと自分を愛してくれること」
が、わかるから。

そうやって何度も何度も一緒に泣いて、
一緒に乗り越えて、
また普段の毎日に戻ることを体験させてあげればいい。

その経験が、
今は死にたいぐらい辛くても、
今は、親や兄弟をどれだけ泣かせても、
きっと、その先に「笑いあえる毎日」が必ずやってくることを信じる心を育むのだから。


「親思いの子供」


その、親を思う心は、決して「優しさ」だけではないことを教えよう。
そして、
子を思う心も、決して「優しさ」だけではないはずだ。


強くて優しい心。


それは、

親を悲しませる勇気を持つことだ。
そして、
時には子供を傷つける勇気を持つことだ。


バファリンだって、その半分しか、「優しさ」は含まれていない。


親を悲しませたくない。


もう二度と、そんな悲しい言葉、子ども達に言わせてはならないと思う。




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■24時間テレビと感動ポルノ■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です。

土曜、日曜とやっていた、日本テレビの「24時間テレビと愛は地球を救う」。
皆様ご覧になられましたか?

私はと言えば、毎年かぶりついて見ている「24時間テレビ大好き人間」なのだけど、
今年は、あちらのブログでもお知らせしたように、
友人の民宿を手伝いに行っていたり、
出版準備や、諸事象で、
今回はまったく見ることができず。



残念極まりない。


というよりも、
今回は、いろんな意味で世間は騒いでいるけれど、
その中でも、
「障害者にたいする感動ポルノ」
という声が、今年は一段と高いようにも思えて。

まあ、このことに関しては、
数年前からよく「障害者をさらし者にして…云々」
と、問題視されているけれど、
私的には、
その声のほうが理解し難い。

てか、言っていることはよくわかるのだ。
「障害者=感動」
という偏った方程式の上に番組が作られているという点は多かれ少なかれ感じられる。

つっても、
障害者にだって、へたれはいるだろうし、
中には、とんでもない悪事を働いている人たちもいるだろう。
実際、障害者すべてが「人様に感動を与える人生」を歩んでいるとは思えないし、
絶対に、「人に感動を与える」よりも、「笑いを与えたい」と考えている障害者の方だっておられるに決まっている。

そういったこと踏まえて、
そういった、いろんな「障害者さんたちの顔」を見せることも今後考慮してみては?
という思いが多かれ少なかれあるにしても。

見てる側が、「感動したっていいでしょ」って私は言いたい。
それに、
「感動させたい」と制作者側が思っても、なんら問題はないと思っていて。

そりゃ、「感動させるために」ヤラセや嘘がそこにあるのは問題だろうけど、
それはまた別の問題として、
つうより、
「人様を感動させようとすること」を否定されたら、
作家や、歌い手の人たちは、身も蓋もない、って話ではなかろうか。

実際のところ、
当の障害者の方がなにやらと不満を感じているのだとしたら、
ここまで長くは続かないでしょうって、話で。

結局、こういう問題はいつも同じだ。
本当に「感動ポルノ」という点を、的確に指摘されている方も少なくはないと思うけれど、
大概は、
障害者でもなんでもない人が、「障害者の方が可哀想・可哀想」と、
上から目線の、いってみたら、
これこそ逆に、
「感動ポルノ・感動ポルノ」と全てを片付ける、
「可哀想ポルノ」そのまんまではないかと、私は思いたい。


第一、

だって、あの番組、
「障害者を理解してもらおう」
「障害者の生活を支えよう」

という主旨のもとに制作されているのだから、
そうなって当たり前だとも思うわけで。

もしこれが、
しばらく話題をかっさらっていた五輪アスリートたちを支えよう!ってな内容の番組なら、
もちろん、アスリートが主役であり、
その努力の様子や、
日常の生活、ありのままの姿を知り、
私たち視聴者は感動したりするわけだ。

またこれが、
お年寄りの介護問題だったり、
またその介護問題の渦中に居る、
介護のお仕事をしている人たちの特集だったりすれば、
私たちは、
その実情や苦しみの中で格闘するその姿に感動し、
「それなら」と、少しでも役に立ちたい、と思うのだ。

それが、じゃね?

私は、正直、
先日の記事に書いたように、
「貧困家庭に援助しよう・恵もう」
という、上から目線の「可哀想」は大嫌い。
だから、この前のNHKの番組のように、
「貧困家庭は可哀想」ということばかりをアピールするのはおかしいと思っている。
だけど、
「貧困家庭の人たち」が、「貧困でなくなるため」の支えや、協力、そして教育等は必要だと思う。
そのためにかかる「お金」は必要なのだ。

それと同じように、
障害者の方たちが、いろんな意味で自立して、
私たち健常者と同じようにこの社会で生きるにも、
たくさんのお金が掛かることも事実だ。


「24時間テレビ・愛は地球を救う」

今年も、何億もの募金が集まったという。
その額は、
決して、すべての障害を持つ方を支えることはならないにしても、
それでも、
多くの人が携わる、この番組が生み出した、「愛」だ。


私は、
感動して泣きたいときは泣き、
笑いたい時は笑い、
「だから、頑張って!私も頑張ろう」と、
ただひたすら、素直な心で、
この番組を、これからも見つめていたいと思っている。





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■「産まない選択」があるのなら、「育てない選択」があってもよくね?という話■



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皆様こんにちは。
おしゃべり元保護者です!

今日はあちらのブログで、
少し感動(?)我が家の母娘の物語を語っております。
■「お母さんの子に生まれてよかった」■


さてさて。
今日はこんなニュースから。

■自宅トイレで出産の17歳少女・・・■


この記事は、私がTwitterの方でフォローさせていただいき、
時々、そちらでお話させてもらっている、
碓井真史先生:新潟青陵大学大学院 教授(社会心理学)・スクールカウンセラー
の記事なのだけど、
この先生、時々テレビもご出演などされているので、ご存知の方も多いかも知れない。

私は碓井先生の言葉やお考えがとっても好きで、
心屋仁之助さん同様、よく、勝手にお勉強させてもらっている先生のお一人。
なので、このブログでも何度か記事をリンクしているはずだけど、定かではない。

私は、皆様はご存知かどうか、
実は、「里親業」を目指している人間で、
というのも、
長年、なにかと「子供の幸せ」を追求しているうちに、
こうして、偉そうなこと言ってるぐらいなら、
自分で、もう一度子育てしてみなさいよっ
的な、自分自身を戒める声が大きくなり。

てなことで、

そんな私は、ただいま、里親業のお勉強の真っ最中なのですが、
この17歳の子のように、
何も分からず、どうしていいかも教えられずに、
簡単に「せっかくの命」を奪ってしまうぐらいなら、
最初から、
「自分が無理だと思うのなら、誰かに育ててもらおう」
という選択肢をもっとアピールしてもいいのではないかと思ったりしている一人。


前にも、一度記事にしたことがあるけれど、
私は、
正直、「高校生の妊娠」については、
これといった持論がない。

「性教育」は、こうあるべき、というような、
ちゃんとした意見をもっていない。

だけど、ひとつだけ言えることは、

「高校生が妊娠なんてありえない」
「妊娠したら、自覚を持つべき」
「出産したら、自分で育てるべき」


なんて、「正論」ばかりを子供たちに押し付けることよりも、

「産まない選択」
があるのなら、
「育てない選択」
も、良しとしたらどうかと思うのだ。

もちろん、だからって簡単に子供を作らないよう、
これまでのように、きちんと教育していくことは当たり前として、
それでもできてしまったのなら、
一番優先すべきことは、

「お腹の子の命を守ること」

その大切ささえわかっていれば、
その、生まれてきた子の命は、なによりも価値あるものとして扱われるような気がして。

今、子供ができなくて悩んでいる夫婦は多い。
また、同性愛のカップルも、子供を求めている人たちもいる。

独り身でも、子供を育ててみたいと思う人や、
また私のように、子供の手が離れてから、
もう一度、子供を育てたい、と願う子育て経験者も多い。

そんな人たちに、育ててもらうことで、
その、命の価値は、なによりも変えがたいものに変わるのではないだろうか。
別に、「生みの親」でなくたって、
その子を愛することは十分できるはずだ。

だけど、
子供は、親を選んで生まれてくるとも言われていて。
体内記憶のある子達はみんな、
「お母さんの役に立ちたくて生まれてきた」
と、言うらしい。
虐待されている子等の中にも、そういう子がいるらしい。

だったらなおさら、私は思うのだ。

もしかしたら、
子供たちは、「自分を育ててくれるお母さん」の役に立とうと、
それでも、「生むことのできないお母さん」のために、
その、産んでくれるお母さんのおなかの中で、
「育ての親」に会うために、ずっと待っているのかもしれない、と。

「育てない選択」

それはきっと、
虐待など、悲しみの連鎖を断ち切るひとつの方法だと私は考えている。






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■「嘘をついたりメールの返信をしないので殺しました」?■



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おとつい書いた記事を、アメブロの方で紹介してくださった方がいらしたので、
その記事をあちらのブログでまたまたご紹介しております。
■リブログ返し■

さて。
埼玉16歳少年殺人事件
のニュースを聞き、
またか、と思われた方は多いと思う。
私もその現場が河川敷と知ると、
すぐさま、昨年起きた川崎の事件を思い出した。

うーーーーん。
どんな思いで、少年は川を泳いでいたのだろうと思うと、ほんと胸が張り裂けそうになる。
その、主犯の少年の供述では、
「嘘を付いたり、メールを無視したから殺した」
とのこと。

そんなことで殺されとったら、

世の中、誰もおらんくなるわっ


と、
思わず、叫び倒している自分がいた。

この事件。
確かに、あの川崎の事件と同じような側面はあるけれど、
川崎の事件の犯人らの場合、
チクった少年を懲らしめようと少し悪さをするつもりが、
本人の見栄や、プライドから留まることができずに、
追い詰められて、「殺すしかない」と殺傷し、その後親にも嘘をついて隠し続けていたはずだ。
しかし、
この今回の主犯の一人は、すでに自主をしたという。
そしてその供述。

私的には、
まだ記憶に新しい、
あの、相模原の、『障害者殺傷事件』と同じ匂いがすると思っている。

つっても、
いつものように、ニュースだけを聞いて、
好きなことを言っているだけなので、
右から左へと受け流していただいて構わない。

だけど、

結局は、どちらも、
「そんな嘘ついたり無視したりする悪い奴は殺してもいい」
「そんな役に立たない人間は殺してもいい」

という、万人には理解できない、
その本人だけが持ち続けている偏った価値観、
「歪んだ正義」のはずだ。

そして、本人、さほど「間違ったことをした」とは思っておらず、
むしろ、「正しいことをした」とさえ思っているのではないかと疑いたくなるパターン。

こういう傾向を、
私は密かに 「キラ症候群」と呼んでいる。←勝手に。

キラとは、そう、あの、デスノートのキラ。
凶悪犯罪を犯した犯人らを、
「正義」の名のもとに、次から次へと殺害していく、あのキラ。

「悪い人間は成敗すればいい」
「間違ったことをした人間は、めちゃくちゃに叩いてもいい」
「それが、正義だ」


実際、私がこのブログでよく文句たれている、
自称正義のヒーローたちも、このキラ症候群の仲間だと思っている。

正直なところ、
今、
子供たちの中で繰り返されている「いじめ」も、
その「キラ症候群」と同じだ。
だから、「いじめたことにも気づいていない子供達」が大勢いるのだ。

(自分にとって)気に入らないことをしているから。
(自分にとって)それは許せないから。
(自分を)苦しめるから。
(自分は)それをされると悲しいから。
(自分は)そうならないように頑張ってるから。

だから、いじめたっていい。
いや、
苦しめなければならない。


それが、
子供たちの本当の苦しみの回路。
それが、
子供たちが縛られているその「自分が信じてきた正しさ」。

今、
子供たちに見せつけている、
正しさだけを「良し」とする
大人たちの姿。


そろそろ、
そこんとこ気付いていってもよくね?

と、私は心底思っている。




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